日本スキー界を世界へ導くために…
「メインポールに日の丸を!」
追い続けた白く果てしない道!
創業者である故八木祐四郎は「スポーツは企業発展のための栄養剤となり、
すべてのものに対しての闘志を燃やすための起爆剤となっている。」といい、
その考えを「スポーツ精神と闘志」と表現し社内に浸透させ当社発展に繋げてまいりました。
厳しい練習に耐え、試練を体験し、そして秩序ある生活を経験したスポーツマンは、礼儀正しく、誠実で、動作が機敏で、
感謝の気持ちと思いやりの心を持ち、努力を惜しまず忍耐力があり、それが必ず仕事に活かされると考え、
今もなお、東京美装グループは、その精神を受け継いでおります。
1970年代
- 1970年
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東京美装興業スキー部創部
- 1972年
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札幌冬季オリンピックにてバイアスロン競技代表監督を故八木祐四郎が務める
札幌冬季オリンピックに柴田国男が出場
- 1976年
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インスブルック冬季オリンピックに勝呂裕司が出場
- 1978年
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全日本選手権リレー(天皇杯)にて東京美装クロスカントリーチームが初優勝
- 1979年
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全日本スキー選手権大会3年連続3種目優勝により日本スポーツ賞を早坂毅代司が受賞
1980年代
- 1983年
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天皇杯6連勝により日本スポーツ賞を東京美装クロスカントリーチームが受賞
- 1984年
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全日本学生スキー連盟理事長に故八木祐四郎が就任
- 1985年
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全日本スキー選手権大会50キロ3年連続優勝・30キロ優勝により日本スポーツ賞を結城谷行が受賞
- 1986年
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藍綬褒章を故八木祐四郎が受賞
- 1987年
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ワールドカップ(札幌)にてジャンプ70mで佐藤晃が優勝
- 1988年
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カルガリー冬季オリンピックにクロスカントリー代表として結城谷行、ジャンプ代表として佐藤晃、コンバインド代表として阿部雅司が出場
1990年代
- 1990年
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財団法人全日本スキー連盟専務理事に故八木祐四郎が就任
- 1991年
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世界選手権大会(イタリア)にて複合団体で阿部雅司が銅メダル獲得
- 1992年
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文部大臣よりスポーツ功労者顕彰を故八木祐四郎が受賞
アルベールビル冬季オリンピックにて日本代表選手団副団長を故八木祐四郎が務める
アルベールビル冬季オリンピックにコンバインド代表として阿部雅司、ジャンプ代表として須田健仁が出場
- 1993年
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世界選手権大会(スウェーデン)にて複合団体で阿部雅司が金メダル獲得
- 1994年
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リレハンメル冬季オリンピックにて日本代表選手団副団長を故八木祐四郎が務める
リレハンメル冬季オリンピックにて複合団体で阿部雅司が金メダル獲得
- 1995年
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財団法人日本オリンピック委員会専務理事に故八木祐四郎が就任
世界選手権大会(カナダ)にて複合団体で阿部雅司が金メダル獲得
- 1997年
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国際オリンピック委員会よりオリンピック・オーダー銀章を故八木祐四郎が受章
- 1998年
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長野冬季オリンピックにて日本代表選手団団長を故八木祐四郎が務める
長野冬季オリンピックにクロスカントリー代表として神津正昭が出場
- 1999年
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財団法人日本オリンピック委員会会長に故八木祐四郎が就任
2000年代
- 2000年
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シドニー夏季オリンピックにて日本代表選手団団長を故八木祐四郎が務める
- 2002年
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ソルトレイク冬季オリンピックにて日本代表選手団副団長を池上三紀が務める
財団法人全日本スキー連盟総務本部長に池上三紀が就任
- 2003年
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アジア冬季競技大会(青森)にて日本代表選手団総監督を池上三紀が務める
- 2006年
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トリノ冬季オリンピックにて日本代表選手団副団長を池上三紀が務める
財団法人全日本スキー連盟専務理事に池上三紀が就任
トリノ冬季オリンピックにてノルディック団体複合で北村隆、小林範仁が6位入賞
トリノ冬季オリンピックにアルペン代表として生田康宏が出場
- 2007年
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アジア冬季競技大会(中国)にて男子アルペンで生田康宏が2種目で金メダル獲得
- 2009年
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ワールドカップジャンプ第5戦にて個人ノーマルヒルで湯本史寿が優勝
世界選手権大会(チェコ・リベレツ)にて複合団体で小林、湊が金メダル獲得
2010年代
- 2010年
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バンクーバー冬季オリンピックにて複合個人ノーマルヒルで小林範仁が7位入賞
バンクーバー冬季オリンピックにコンバインド代表として湊祐介が出場
- 2014年
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ソチ冬季オリンピックにてノルディック団体複合で湊祐介が5位入賞